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>>001:やんごとなきご家庭の事情

 今日は簓さんがつかまりませんでしたね。

 階段をとぼとぼと昇りながら、今日の過ごし方について緋紅は思案する。
 最近の過ごし方には、今までの書庫の本を読む、千星達や稀紗とお茶をして時間をつぶす、簓を探して問い詰める、の他にシンシアの使い魔達との狩猟採集も追加された。あてもなく屋敷の中をうろうろするしかなかった頃から比べると格段の進歩である。
 この間図書島で調べてもらった、緋紅の記憶を取り戻すための魔法薬の材料を集め、もとい狩猟採集も比較的順調――と緋紅は思っているが、いまいち終わりが見えていないので断言はしかねる――に進んでいる。
 量を確保するために複数回採取を行わなければならないものなどは、簓抜きのメンバーで行えるようになってきた。
 ただ”狩猟”は簓抜きでは行っていない。主に使い魔の二匹が心の準備ができていないと懇願してくるためだ。やはり最初の二、三回で獲物を血祭りにあげたことがトラウマになっているらしい。
 そんなに怯えた瞳をしなくてもと思わなくもないが、緋紅も血の雨を降らせずに済ませる自信があるわけでもなかったので、二匹の意見を尊重している。
 現在簡単に採集できるものは一通り集めおわり、次の予定は狩りである。
 簓が見つかれば向かおうと思っていたが、どうにも見つからない。日も高くなってきたし、今日は諦めた方がよさそうと判断した緋紅は、千星の部屋に顔を出してみることにした。

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 綻ぶような千星の笑顔に迎えられ、そのままテラスに通される。
「よかった、緋紅ちゃんが来てくれて。らなちゃんが急に本家に呼び出されちゃって、作りおきしてたお菓子が余ってたの。炬さんにも食べてはもらってるんだけど」
「珍しいですね、炬さんが平日の日中にいらっしゃるの」
 椅子に掛けながら緋紅が炬に問うと、どことなく疲れた顔で見られる。
「一応俺もう自由登校期間なんだけどな……」
「それって別にもう学舎に行かなくても卒業できる状態ってことですよね?」
「そのはずなんだけどなあ」
 なんでほとんど毎日出向いてるんだろうなあとうんざりしている炬に、まあまあ、と千星が新しいパンケーキを勧める。
「でも炬さんは生徒自治会の役員も引き受けているんだもんね?」
「ああまあ……それも卒業年度だし、引き継いで関わらなくなっていく時期だと思うんだけどなあ……」
「お忙しそうですもんね」
 緋紅が炬の苦労を推し量って溜息をつく向かいで、いいなあ、と両手の指先を合わせながら千星が言う。もちろん現状に不満があるわけではないけれど、と前置きしてから、夢見るように笑った。
「充実してる! って感じで楽しそうよね。私は学校に通ったことがなかったから、制服姿の炬さんを見るのは結構好きなの」
「!? すっ」
「ああ……大丈夫ですか……」
 思いがけず掛けられた言葉に盛大に動揺し、噎せた上にカップを取り落としそうになった炬へ、そっと布巾を差し出した。

「いや、すまんな。学校のほうはそうだな、千星が言う自治会絡みの用事が多いんだよな今」
「引き継ぎ、というのは進んでいないんですか?」
 炬は最終学年。短い学生生活を送ったことのある緋紅も、そういう学生組織の存在は知っていた。知人が間接的に関わっていたからである。経験というには乏しい知識ではあるが、役職は下の学年へと早めにゆずっておいているものだと思っていた。
「俺は今はもう役職もないんだけどな。ただ今の時期仕事が多くて、頼まれるとやってしまうというか」
「あら、みんなに頼りにされてるって素敵ね?」
「ここでも苦労性」
 なるほど容易に想像できる、と緋紅は深く頷いた。
 面倒なことが嫌いな緋紅からすれば、自治活動を引き受けているだけでも敬意を抱くというのに、後任の面倒まで見ているとなれば、どれだけ人が良いのかとおののいてしまう。短い付き合いながらも彼が押しに弱そうなのは緋紅もそこそこ感じていたので、断りきれずに現在の状況があるのかもしれないが。
 そして今のように家でも千星にいいように労われて翌日もまた登校するのだろう。ちょろ――見事な内助の功である。
「何か言ったか?」
「ああいいえ。今日のクッキーもおいしいですね、甘すぎず爽やかな味がします」
「そうなの、最近暑くなってきたじゃない? レモンクリームを混ぜて後味が爽やかになるようにしたの。紅茶もベルガモットオレンジで揃えて」
「テラスで風を感じながらいただくには丁度いいですね。余りそうだったら後でちょっとだけ分けてください」
 さっくりと軽い食感で、柑橘系の爽やかな後味。甘さが後を引かないので、一枚食べるともう一枚、と手を伸ばしてしまう。少し喉が渇いて紅茶を飲めば、こちらもオレンジの香りが鼻腔をくすぐる。なんとも初夏にふさわしい組み合わせだ。このあとの昼食がまだ入るかなんて考えることもなく、さくさくと食べ進めてしまう。
「これを短時間でつくれてしまうのが相変わらずすごいな」
「らなさんに頼まれてささっと作ってますもんね」
 大したことができるわけじゃないんだけどね、と少しだけ困ったように千星は笑う。

「ここはいいわよね。他に邪魔されることもないし。何にも煩わされずに作業ができるから。設備もいいし。あんな万遍なく火が通るオーブン、らなちゃんでもつくれないよ」
 千星の実家のオーブンも、当然とっても高性能だが、大きいものなのでらながどう頑張って調整しても少しの温度のムラは出てしまうものらしい。こんな山の中にぽつんとある屋敷の設備が貴族様の家で使っているものよりも性能がいいなんて、若干勿体無いような気がした。
「あの厨房も簓さんの手が入っているんですよね?」
「そう。いろいろ貸しを作って注文付けたりしたけど、とっても便利になってよかった。魔法ってやっぱり有効に使えば役立つものなのよね」
「そんなことしてたのか」
 うきうきと話す千星に炬は驚く。緋紅も軽く目を見開いた。のほほんとした顔をしながら貸しを作るなどと若干おだやかでない単語が出てきた。簓が千星を避け気味なのはこのせいなのかもしれない。
「今まであんまり触れたことのない技術だったから気になっちゃって。やっぱりこういうところ、らなちゃんほどじゃなくても椿の娘ってことなのかもね」
「いや、らなは相変わらず毛を逆立てていたと思うけどな」
「あれは千星さんに近づく男が気に食わないというだけでは? 目つきが炬さんに対するものと似ていました」
「そうか……」
 炬や緋紅へのような敵愾心を大袈裟に表に出してくるような感じはないが、目つきからはかなりの警戒心がうかがえる。
 なんとなくだがヘラヘラしてる割に仕返しがきつそう、というか笑ったまま報復してきそうだったりするのでらなも簓に手を出さないのだろうか、と緋紅は思わなくもない。とすれば緋紅の”お返し”は彼女にとっては手を出すのをためらうほどのものではないのかということになるが。炬は正直手を出しやすそうだと緋紅でも思う。

 何にせよらなの姉離れのできなさも筋金入りだ。緋紅はある意味楽しんでいるが、炬は遠い目をしていた。
 炬の様子を見て、だろうなとは思っていたけれど、と千星は憤る。
「らなちゃんったらまだ炬さんに対して無礼な振る舞いをしているの? 一回接近禁止令でも出したほうがいいのかしら」
「通報した俺らが恨まれるだけだからやめといてくれ」
「そうですね。最近らなさんからの挨拶もマンネリ化してきたところもありますし、お教えするのもいいかもしれません」
「緋紅ォ!」
 立ち上がってやめろと叫ぶ炬に、緋紅はあっさりと答える。
「ほら、私朝のらなさんの挨拶、訓練代わりに有効活用させていただいてますので」
「マジかよ…………」
 愕然とする炬。表情を固めたまま椅子に腰掛けなおす姿を心配そうに見ながら、千星は溜息をつく。
「あれもまだやっていたの……? ちょっと本当に、どうにかならないものなのかしらね」
 言っても全然聞かないのよね……、と額を押さえる千星に緋紅も一応同情する。緋紅は対抗手段があるから楽しめるだけで、炬はもちろん、そのうち関係のない人間にまで危害を加えるのではないかと心配にはなる。
「そもそもなんでらなさんはここまでついてきたんです? 今日だって本家に戻ってらして、戻るのも明日の深夜なんでしょう?」
「おい緋紅、それは愚問だとわからないか?」
 ぐったりと天を仰ぐ炬に緋紅は疑問に思う。一応この屋敷は炬のものであると聞いている。千星を呼び寄せたのも婚約者だからと聞いている。
「わかりますけれど、それを阻止するのは炬さんの権利としてあったのでは?」
「俺がらなにそんな口が叩けるとでも?」
「威張るところじゃないと思いますよ」
「そこは慰めるところだと思うぞ」
「年下でもあるんですよね」
「そうだね、らなちゃんのほうが3つくらい下になるかな」
「年下の小娘に手玉に取られちゃって……」
「今も緋紅ちゃんに遊ばれているしね?」
「…………」
「大丈夫よ炬さん。私、炬さんのそういう優しいところに救われているから」
 ついに机に突っ伏した炬を、千星は困ったように微笑み慰めた。

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「そういえばらなはなんで今日帰ったんだ? 今週の仕事ダッシュで終わらせましたわ! って昨日メシんとき豪語してたと思うんだけど」
「炬さんその声マネ絶対怒られますからね」
 絶妙な裏声に緋紅は半眼で呟く。その後の『軽いですわ! ほーっほっほっほ!!』の高笑いまでやらなかったので本人には告げ口しないでおくが。
 全く似ていないのに口調のせいでなんとなく理解できてしまう自分にもややげんなりする。
 千星は意に介せず首を傾げた。
「奥様に呼ばれたみたい。私も詳しくは聞いていないけど。用があればらなちゃんから聞くことになるでしょうね」
「あの女傑かー」
「らなさんのお母様なんですよね?」
 それではしょうがない、と炬は腕を組んで頷く。思い出すように遠い目をしながら、震えるように腕をさすった。
「すげーおっかねえぞ。何回か交渉で話しただけだけど、あの目にずっと見つめられるのは勘弁だわ」
「でもとても仕事のできる方なのよ。能力を買われて分家筋から嫁いでいらした方だから」
「らなもすげーしごかれてるんだろうな……そこにだけは同情する」
「厳しい方なんですね」
 それならば何をおいてもおねえさま! といって憚らないらながこの場を離れるのも致し方ないだろう。仕事の延長である。静かな一日を謳歌する事にしよう。

「でもらなちゃんのことをとても大切にしているのよ? 言い方が厳しいから誤解されがちだけど、普段は理知的で理想的な領主だと思うわ」

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「って、そっからの会話がものすごいよそよそしいんですよね」
 翌日、特に手こずることもなく簓と食堂ではちあわせ、そのままシンシアの家へ向かった。
 作業台で手に取った草や石ころを一つずつ選り分けながらつぶやく。

 採集目的の数種だけでなく、比較的高値で取引できる植物や実も一緒にしこたま採取してくるので、その仕分けをしているのだ。これを売って狩猟のときの罠や得物の元手にする。
 簓は現在外に出て、次の狩猟ポイントの確認をしている。
 過保護なことで、と思わないでもないが、貧弱三人組を引率するわけだから、地形情報やら出くわす可能性のある獣やらを把握しておくことはハンデにもならないだろう。
「しらねーけど、それって緋紅がどっかで地雷踏んだんじゃねーの」
「くろ、それはそこじゃなくてこっちです。つるが右巻き」
「あっやべ」
 ぽいぽいと蔓草をかごに投げ入れていたくろが、ごそごそと間違って入れた草を探す。不純物が混ざると売値が下がる。
 二匹にとっては、この選別の作業も訓練だ。シンシアの店で取り扱う商品には薬や術の材料となる植物や鉱物もある。彼女の役に立つためには、身につけなければいけない知識である。見た目や触感、香りなどで適切に分類していく。
「あ、しろさん。この石、これと色は似てますけど違うやつですよね」
「ああはい、多分そうですね。軽く叩いてみて、硬い音がする方がこっちです。もう一方はこの籠に」
 頷いて小さな槌で数度叩いて分別する。同じようなものがいくつかあったので、しばらくコツコツという音が続いた。

「まああの姉妹自体がたまに不自然だなって感じるときもありますし、おそらく家族の話題はタブーなんでしょうけどねえ」
「そうそう、ニンゲン誰しも触れられたくない話題ってものがあるわけよ」
「ってシンシアが言ってました」
 そうですね、と緋紅は頷く。自分も記憶がないからなんとも言えないが、他人に深入りされたくない事情があったりするかもしれないし。同じ屋根の下に住んでいるからこそお互い配慮は必要だろう。
「まあ私がずかずか入り込んでいい領域じゃないんでしょうねえ。簓さんにもあまり深入りしないようにとは釘を刺されていますし」
「なんだよ、簓にも言われてるんじゃん。言うこと聞いとけよ」
「簓さんは間違ったことは言いませんからね」
 うんうん、と頷き合う二匹に頬が引きつる。
「なんですかその簓さんに対する信頼は……?」

「簓には以前からちょくちょく世話になってるからな」
「狩りに同行するというのはなかなかなかったのですが、助言をいただいたりしてました。少ない魔力でどう立ち回るかとか、すごくためになりましたし」
「持ってる能力が少なくても、派手な技が出せるって教えてくれたからな! 俺はやるぜ」
「まだ実現には至ってないですけどね。でも簓さんは僕たちの目標ですから」
「簓さんの評価がこんなところですごく高いなんて……」
 前々からそうだが、この二匹はかなり簓に懐いている。きらきらとした目で語られるが、緋紅はまだ一月前までの日常であった『かくれんぼ』の記憶が消えていない。へえ、と声のトーンが数段落ちた緋紅に、くろは首を傾げる。
「逆に何で緋紅は簓のことそんなに否定すんだ? 今だって助けてくれてるじゃん。簓がいなかったらこないだのやつも血の雨だったんだろ、どうせ」
「どうせじゃないですよ。そうでしょうけど。でもここまで来るまでに私だって振り回されましたし」
「簓さんが? そんな労力を使うことするような人じゃないと思っていましたけど」
「方向性の違いみたいなものがあったみたいでですね」
 緋紅は振り回されたが、簓が労力をかけていたのかどうかも微妙ですしね、と空笑いする。
 二匹は顔を見合わせた後ちいさく笑って、
「それはまあ」
「簓もそういう子供っぽいところがあったんだな」
「緋紅さんがひねくれちゃうのもなんとなくわかります。シンシアに似てます」
「?」
「ニンゲンの男は好きな女にちょっかいかけちまう呪いでもかかってるんじゃねーかって感じだな」
「同類がいたとエリオットさんにも教えてあげなきゃいけませんね」